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プロ野球ファンが沸いたクロマティのホームラン

クロマティ

クロマティ選手は、巨人軍の栄えある4番を経験しただけでなく、打率4割台を長期にわたってキープしていた不世出の大打者と言っても過言ではない選手です。プロ野球ファンの方、とりわけ巨人ファンの方なら、1986年に広島と巨人がプロ野球セリーグの優勝争いをしていたシーズンをご記憶のことでしょう。この時、クロマティ選手は10月のヤクルトスワローズ戦において頭部に打球を受け、救急車で病院に搬送され、精密検査を受けています。

10月ともなれば大切な優勝争いのまっただ中、彼は次の日、頭部に痛みの残る状態であったにもかかわらず、自ら志願してベンチ入りを果たしています。さすがにスターティングメンバーに入ることはかないませんでしたが、彼の根性は「合理主義」を捨て去り、フォア・ザ・チームを最優先したもので賞賛に値すると考えられます。そして、あろうことか、満塁の大切な場面で代打で出場、バッターボックスから放った彼の打球はものの見事にスタンドに飛び込みました。

そうです、代打満塁ホームランという偉業を成し遂げたのです。前日の頭部への死球にもかかわらず、彼はプロ野球選手としての意地・ファイティングスピリットを見せただけでなく、多くの人を感動させました。あの時の右腕を天高く突き上げる彼のポーズは、今でも忘れられません。本当の大打者は人を感動させる、その点で彼の満塁ホームランはそれ以上の価値があると言われています。

大洋のポンセは日本のプロ野球に合致していた

ポンセ

横浜ベイスターズの前身でもある大洋の助っ人外国人はポンセで、口ひげを生やした右打ちの打者です。一年目はメジャーで活躍しましたが、翌年には来日し大洋に入団、一年目から151安打で27本塁打を打って打率も3割2分2厘と活躍しています。

日本のプロ野球にもなじむスタンスで、力任せにホームランを放つよりもコンパクトでミートする形で安打を量産するタイプの選手として特徴があります。1989年には159安打を放ち1988年には本塁打王を獲得し、全盛期には各種タイトルを獲得しています。

ポンセは外国人野球選手としては、ホームランバッターという印象よりもリーディングヒーターの印象も強く、併殺打をあまり打たないで次に繋げる働きをすることも多い印象があります。日本の細かい野球にも合っており、コンスタントに結果を残しています。

ただ日本では5年間だけの活躍でしたが、1989年には24本塁打を記録するも不振気味ということで、翌年の1990年に退団し引退しております。なおポンセは見た目の風貌が当時流行していたゲームのマリオブラザーズのマリオに似ていたのは事実です。